朝の陽ざしが廃屋と化した我が家に差し込んできて、私は目覚めました。

家中の家財道具がみな、床にぶちまけられた上を慎重に歩き、玄関の扉を開けました。

雪が舞っています。地面には霜もおりていて。

地震さえなければ朝日を浴びながら降る粉雪はさぞきれいだったでしょう。でも、この寒さは、救助をまっている人達の命を削っていく。

かといって自分には何もできやしない。今日一日でなんとか東日本大震災の影響のない街へ出れなければ食べ物も飲み物もなくなる。

とにかく生きなければ。

当然、日本政府と防衛省は相談して自衛隊が災害派遣でやってくるだろうけど…それまで生き残れないと思いました。

防衛省や自衛隊の幹部も、この規模の災害は生まれて初めてかもしれないな。

準備が整うと私は家族を乗せて車を発車しました。

とにかく南へ。関東を目指しました。

関東への道路が地震によるがけ崩れなどで通れなくなっていないことを祈りつつ、いたるところに亀裂の入った古くなったチョコレートのようにもろくなった道路の上を慎重に運転しました。

その道路は東日本大震災さえなければ、ドライブに最適で、関東へ向かって急な山を越え、美しい田園地帯を過ぎ、栃木県との県境を越え政令都市宇都宮まで続いているのですが数日後、関東一帯にホットスポットを作った放射能の雲(放射性プルーム)の終着点になる…そんなことも、その時は、まるで思いもよらない本当に想定外のことでした。