長崎市入りした旧ソ連の原爆調査団
旧ソ連が撮影した原爆投下1ヶ月後の広島市、長崎市の映像が2016年8月4日に報道陣に初めて公開されました。

この白黒映像は1945年9月~11月頃に旧ソ連の調査団が広島市、長崎市を撮影したもので、来日していたロシアのナルィシュキン国家院議長が2016年6月16日に安倍晋三首相を表敬訪問した際に、この映像が入ったDVDを寄贈し、日本政府がそれを広島市と長崎市に提供したもの。※1
旧ソ連の原爆調査団が撮影した長崎市の映像(傘をさす日本人)

映像は約5分で所々にロシア語のナレーションが入る。
旧ソ連の原爆調査団が撮影した長崎市の映像(被爆地)

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公開された白黒映像について広島平和記念資料館や長崎原爆資料館は以下のようにコメントしている。※2※3

広島平和記念資料館・加藤秀一副館長
「被害受けている所と被害を受けていない所の境を映したりしているところがソ連が映した狙いが推測できる。この映像があるということで今後、ソ連が撮影した写真・映像が公開されるのを期待しています」
長崎原爆資料館
「(長崎の原爆の)爆心地付近を撮影したものでは原爆投下日に最も近い資料になる」

長崎市に入ったのは当時の記録から1945年9月16日と考えらます。長崎への原爆投下が1945年8月9日ですから旧ソ連の原爆調査団が長崎入りしたのは原爆投下の38日後となります。

なお長崎市の長崎原爆資料館では、この白黒映像を2016年8月5日から一般公開します。広島市の広島平和記念資料館も一般公開を検討しています。※4

下記は日本テレビによるニュース映像。
※公開終了しました。

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※1http://www.mofa.go.jp/mofaj/erp/rss/hoppo/page1_000207.html
※1https://www.youtube.com/watch?v=0gw_-fO-aNA
※2http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160804-00000030-nnn-soci
※3http://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/263810
※4http://mainichi.jp/articles/20160804/ddf/041/040/008000c