自宅を出発して10分くらい走ると関東へと抜けることができる国道に合流できます。
まだ朝の8時前なのに国道は、関東へと続く避難者の車で混み始めていました。
私は後悔していました。と、いうのは一時的に県外に避難し、食料と燃料を補給して帰路に付こうと考えていたため、前々回書いたように車に詰め込まれているのは。
通帳と印鑑、パソコン、タオル10枚、1.5リットルのペットボトルの水。あと3日分の着替え。
これくらいでした。
しかし、同じ国道を関東へと走る他の車は後部座席に布団や家電製品がインドの鉄道のように豪快に詰め込まれていて、一時避難、というよりは急ごしらえした引っ越しの荷物といったほうが適切に思えました。
東日本大震災以上に想定外…何かがヘンだ。
おかしい…。なんで、あんなに、大げさな荷物を詰め込んでいるんだ。
私は不審に思ってラジオを付けました。
この頃、福島原発ではヨウ素やホットパーティクルが外界へと飛び出し始めていました。もちろん私は、そんなことも知らずに車の窓を少し開けたままでした。
福島原発の現状を知ることができていたら、もちろん車の窓も締めて、マスクがあればしたでしょうが。ラジオは残念ながら、そこまで教えてくれるはずもありませんでした。