でも、このままのペースでガソリンメーターが減っていけば、あと5時間持つかどうか…。
そう思った瞬間、背筋から血の気が引いて行くのが自分でもわかりました。
暑くもないのに、また額からは一筋の汗が流れ落ちました。
きっとみんな同じ焦りをもってハンドルを握っているのだろうな。
そう思うと空腹さえ感じなくなっていきました。口の中も乾いていきます。
私が生まれ育った福島県は、北海道、岩手県に次ぐ日本で三番目に面積が広い都道府県でした。
その広い面積を鉄道ではとてもカバーできないため、一人一台は車がないと生活ができません、もちろん福島市や郡山市など市街地は例外ですが。
ですので車の運転は日常生活の一部であり、ほとんどの人は車の運転が好きでした。私もそうです。
でも、この先の見えない大渋滞のなか、ガソリンメーターだけが着実に減っていく状況。
運転していても楽しさなどはまったくなく、花曇りの灰色の空の下、私は意味もないのに歯を食いしばって運転を続けました。
そうえいば、この頃、福島の私の後日たいへんお世話になる友人が、沖縄にいる内部被ばくの第一人者矢ケ崎克馬琉球大学名誉教授に電話していました。
今や内部被ばくや外部被ばくと言っても小学生でもわかるかもしれませんが、3.11汚染地図が日本に出来上がる前は、みんなほとんど知らなかったんだよね。
しかしこの後、矢ケ崎克馬琉球大学名誉教授はみんなが福島から避難してる最中に逆行して福島県入りしてるんです。すごいです…うん、私にはとてもできないです。