1969年11月21日の沖縄核密約
今回は『1969年11月21日発表のニクソン米大統領と日本の佐藤首相による共同声明に関する合意議事録』…いわゆる沖縄核密約について特集します。※1

1967年当時の沖縄は、アメリカ軍により約1300発もの核兵器が配備され…世界最大級の核兵器の拠点、まさに核の島と化していました。
1967年当時の沖縄にはアメリカ軍の約1300発もの核兵器があった

その沖縄が1972年5月15日に日本の施政権下に復帰します。それにあたって沖縄に配備された核兵器はすべて撤去された…はずでした。※2
沖縄返還協定と佐藤栄作首相の署名

しかし、その裏では1969年11月21日に日本の佐藤栄作首相とアメリカのニクソン大統領との間で沖縄核密約がアメリカのワシントンで結ばれます。
日本の佐藤栄作首相とアメリカのニクソン大統領と沖縄核密約

佐藤栄作首相とニクソン大統領と沖縄核密約の署名

沖縄核密約には嘉手納町、那覇市、そして名護市辺野古の地名が出てきます。ではどんな場面で出てくるのか?日本語の原文を見てみましょう。※3
沖縄核密約には名護市辺野古、嘉手納町、那覇市の核弾薬庫を維持するとある

1969年沖縄核密約
米国政府は、極めて重大な緊急事態が生じた際、日本政府との事前協議を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと、沖縄を通過させる権利を必要とするであろう。米国政府は、その場合に好意的な回答を期待する。米国政府は、沖縄に現存する核兵器貯蔵地である、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキュリーズ基地を、何時でも使用できる状態に維持しておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できるよう求める。」

分かりやすいように抜粋します。

1969年沖縄核密約(抜粋)
「米国政府は、核兵器の沖縄への再持ち込みと、沖縄を通過させる権利を必要とする。沖縄に現存する核兵器貯蔵地である、嘉手納、那覇、辺野古を、何時でも使用できる状態に維持しておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できるよう求める。」

つまり1969年沖縄核密約によれば名護市辺野古にある辺野古弾薬庫は、沖縄に再び核兵器が持ち込まれる際の核兵器の貯蔵地の1つです。

この辺野古弾薬庫はアメリカ軍の普天間飛行場の移設先であるキャンプ・シュワブのすぐ北側に隣接しています。※4
辺野古弾薬庫(覆土式)

そして今年2018年、辺野古のキャンプ・シュワブ新基地建設と合わせて、この辺野古弾薬庫の建て替えや再開発も行われようとしています。※5

また今日2018年2月3日にAFP通信が報じたところによると、米国防総省が現地時間2018年2月2日に核戦略報告書「核態勢の見直し(NPR)」を発表し、その中で再び小型核弾頭(戦術核兵器)の開発する方針を示しました。※6
小型核弾頭(戦術核兵器)の開発する方針、AFP通信

沖縄が、名護市が再び核の巣にならないことを切に願います。

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※1NHKスペシャル「沖縄と核」2017年9月10日放送
※2http://www.archives.go.jp/exhibition/permanentpopup/003_03_01.html
※3http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/indices/JPUS/index61-70.html
※3http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/JPUS/19691119.O2J.html
※3http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/JPUS/19691119.O2E.html
※4http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/1189.html
※5http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/173726
※5https://ryukyushimpo.jp/news/entry-623937.html
※6http://www.afpbb.com/articles/-/3161022?cx_part=topstory&cx_position=2