野原千代(旧姓、後千代)さんが一昨日…2015年10月28日の夕方に急性心不全でご逝去されました。まだ60歳。言葉が…見つかりません。

・お通夜10月31日(土)午後6時~
・告別式11月1日(日)午前11時~
【会場】〒901-0242
沖縄県豊見城市高安560-1
セレモニーホールとみしろ
TEL0120-24-0994

昨夜、矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授や福島原発事故の避難者の皆さんと一緒に野原千代さんのご遺体と対面してきました。矢ヶ崎克馬先生のおっしゃった「野原千代さんは彗星のごとく現れ、あっという間に偉大な成果を成し遂げられた」という言葉が、内部被曝の研究者としての野原千代さんの4年弱という非常に短い…しかし決して朽ちることのない研究者人生を表していると思います。

スポンサードリンク

実は「福島原発事故後の日本を生きる」の3人目の執筆者として記事をお願いできないか?野原千代さんがフェイスブックで記事をシェアして下さった2015年5月から構想があり…ただ野原千代さんは当時から療養中でしたし本人にはまだ言えず回復を祈っておりました。

野原千代

低線量被曝でも危険なことを一人でも二人でも理解して、そして避難してほしい…という野原千代さんのメッセージと真っ直ぐな生き方、そして温かい人柄に触れ、一人や二人どころか避難を決断した人は女性や子供達に限らず、少なく見積もっても…きっと日本全国に数千人はいるでしょう。

野原千代さんは数千人の命と未来を救ったのです。結果として自分の命を燃やし尽くすことになると、もし、野原千代さんが事前に知ることができたとしても…彼女は信念の人ですから迷うことなく同じ道を、放射能汚染地帯での被曝の研究を止めなかったと思います。

野原千代さんの夫の順治さんは、野原千代さんのライフワークとしていたヤマトシジミと低線量被曝を扱った研究を有志が引き継いでいってくれることを切に願っておられました。もちろん、たくさんの研究者たちが野原千代さんの遺したバトンを継承するでしょう。

新約聖書ヨハネ伝第12章24節の「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにて在らん。もし死なば、多くの実を結ぶべし」の言葉が思い出されてなりません。野原千代さんは、数千人の命を救うために自らの命を燃やし尽くし大空へと飛び立っていってしまった…

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

▼この関連記事が一緒に読まれています
≪教えて!矢ヶ崎克馬名誉教授シリーズ≫
『放射線被ばくの理科・社会』を批判する
福島の甲状腺がんはスクリーニング効果でない!
【死せる水トリチウム】三重水素の恐怖の正体!