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 公開日:2015年4月23日 

『放射線被ばくの理科・社会』を批判する-著者らの考え方と人格権-

矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授
琉球大学名誉教授 矢ヶ崎克馬

第1章 誰が人格権を守るのか?

(1)はじめに

この論考は人権…特に人格権に視点を当て、放射線被ばく防護の考え方に限定して議論する。

なぜ人格権に基づく議論が必要か?

福島第一原子力発電事故は、国家的戦略上で原子力発電がもたらした公害である。それに今我々は直面している。原子力発電は必然的に漏れ出す放射線によりシステム的に(必然的に)発がん等の健康被害、犠牲者を生み出す。それをどう評価すべきかで国家戦略・核戦略上の都合や発電産業としての企業的功利主義が渦巻く。

特に原子力産業は世界的な支配力を誇る国際放射線防護委員会(ICRP)のALARA原則などにより手厚い「思想的保護」を受ける特殊産業である。必然的に放射線被害の受忍を強要する功利主義と、その中で生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分がどう守られるかのせめぎあいが展開する。

現状では、日本政府の姿勢を見る限り、民主社会における主権者が主権者としての声を上げない限り人格権は守れない。一見科学上の問題に見える健康被害の問題でも、今福島で、日本で起こっていることを経験的に見ると人道的視点無くしては正しい評価はできない。

その意味で、単なる「科学上の認識が問われる」だけでなく人権擁護の立場で論ずるかどうかが決定的に真の社会的意味を生じるところとなる。科学的に「都合のよい側面だけを取り上げる」ことにより、「科学」が人権そのものを破壊することと密接にかかわる。科学は誠実で正直でなければならない。

この分野で圧倒的な支配体制を持つ国際放射線防護委員会(ICRP)の考え方を『放射線被ばくの理科・社会』の著者たち、主として野口邦和氏がどう考えているかを確認しながら論考する。核兵器禁止運動に指導的な役割を果たすような著者たちが、民主主義の基本理念である人権を尊重し「個の尊厳」を大切にする立場で議論しているかどうかが、本論の課題である。

野口氏は第1章「福島は人が住めないのか」の項でICRPの「計画被曝状況」、「緊急被曝状況」、「現存被爆状況」等の概念を紹介し、ALARAの原則なども紹介する。それらは「美味しんぼ」の「危ないところから逃げる勇気を持ってほしい」を非難する等に用いられていることからICRP的世界観は野口氏の信念とするところと解釈される。

平常時の線量制限の原則として野口氏は【1】行為の正当化【2】防護の最適化(ALARAの原則)、【3】線量限度であると紹介する。

ではこれらの原則がどのようなものであるか具体的に確認するところから始めよう。

(2)ICRP放射線防護の3原則

【1】行為の正当化
ICRP2007勧告「用語解説」によると以下のとおりである。
(1)放射線に関係する計画された活動が、総合的に見て有益であるかどうか、すなわち、その活動の導入又は継続が、活動の結果生じる害(放射線による損害を含む)よりも大きな便益を個人と社会にもたらすかどうか
 あるいは(2)緊急時被ばく状況又は現存被ばく状況において提案されている救済措置が総合的に見て有益でありそうかどうか、すなわち、その救済措置の導入や継続によって個人及び社会にもたらさせる便益が、その費用及びその措置に起因する何らかの害又は損傷を上回るかどうかを決定するプロセス。
【2】防護の最適化
同じくICRP2007勧告「用語解説」によると以下のとおりである。
いかなるレベルの防護と安全が、被ばく及び潜在被ばくの確率と大きさを、経済的・社会的要因を考慮の上、合理的に達成可能な限り低くできるかを決めるプロセス。
【3】線量限度
同じくICRP2007勧告「用語解説」によると以下のとおりである。
計画被ばく状況から個人が受ける、超えてはならない実効線量又は等価線量の値。

(3)防護3原則の実際の意味

【1】行為の正当化
(1)放射線に関係する計画された活動が、総合的に見て有益であるかどうか、すなわち、その活動の導入又は継続が、活動の結果生じる害(放射線による損害を含む)よりも大きな便益を個人と社会にもたらすかどうか
 あるいは(2)緊急時被ばく状況又は現存被ばく状況において提案されている救済措置が総合的に見て有益でありそうかどうか、すなわち、その救済措置の導入や継続によって個人及び社会にもたらさせる便益が、その費用及びその措置に起因する何らかの害又は損傷を上回るかどうかを決定するプロセス。

【1】行為の正当化についてであるが、人が放射線に被曝する行為は、それにより、個人あるいは社会全体に利益がもたらされる場合でないと行うことはできないとするものである。行為の正当化を判断するには、被曝させる行為が健康被害(死亡も含む)などの害に比べて利益(公益)が大きいか、また経済的に適性であるかなどについて検討される、とする。

この原則の真実の意味は、害…すなわち発がんによる死亡などがシステム的に生じることを認知し、その上に立って、「害に比べて公益が大きい」あるいは「経済的に適正である」と一発電産業の営業行為による経済的利益とその行為による構造的健康被害・結果…殺人等の価値判断を対等物として天秤にかけて論じるという功利主義そのものである。功利主義思想の民主主義思想に対する大胆な挑戦であり、核産業の開き直りである。

「個の尊厳」として位置づけられる人権思想の否定、基本的人権を否定する内容であることは歴史に示された事実である。民主主義が基本となる近代的社会において民主主義の基本理念を真っ向から否定する考え方であり【1】行為の正当化は民主主義社会として受け入れてはならない原則である。

【2】防護の最適化
いかなるレベルの防護と安全が、被ばく及び潜在被ばくの確率と大きさを、経済的・社会的要因を考慮の上、合理的に達成可能な限り低くできるかを決めるプロセス。

【2】防護の最適化について。放射線防護においては、集団の被曝線量を経済的及び社会的な要因を考慮して、合理的に達成可能な限り低く(ALARA:As Low As Reasonably Achievable)保つようにすることをいう。

「経済的及び社会的な要因」が一見リーゾナブルに見える表現だがここでは大問題である。「最大限住民を保護するために力を尽くせ」というのではなく、国の予算や企業の営業活動に支障が来ない範囲で無理しないで防護したらよい、というものである。これは企業や国家の都合を考えてその都合のつく(利益が守れる)範囲で人々の防護を考えるべし、というものである。

例えば、東電の運転する福島第一原発の爆発があった直後、政府が防護量を今まで年間1mSvだった一般公衆の被ばく限度を20倍に引き上げた。これはICRPの勧告に従って政府が学問的検討など何もせずに決めたものである。法的に「防護」という以上20倍まで被曝許容限度を上げることは即刻人権切り捨てに繋がり、乱暴な方法と言わざるを得ない。「事故により放射線防護力が20倍になる」という日本在住者が特殊生物でない限り、住民防護の基準を変更するのは住民切り捨てそのものである。

この20倍適用は、住民にとっては人権の切り捨てが国家的に行われることであるが、他方、原発会社にとっては賠償責任を軽減し免罪してもらう仕掛けである。人権を経済活動の下位に置く考えの典型である。ICRPの思想である功利主義【2】防護の最適化は民主主義社会では受け入れるべきではない。

【3】線量限度
計画被ばく状況から個人が受ける、超えてはならない実効線量又は等価線量の値。

【3】線量限度については、放射線被ばくの制限値としての個人に対する線量の限度で、ICRPの線量制限体系の一つの要件である。線量限度は、確定的影響に対する線量に対してはしきい値以下で、癌などの確率的影響に対しては、しきい値がなく、そのリスクが線量に比例するという仮定の下に、容認可能な上限値として設定されている。

線量限度には、自然放射線と医療による被ばくは含まない。(実効線量と等価線量の限度が、職業人と一般公衆の当初は線量当量限度と表記されていたが、2013年に国際放射線防護委員会(ICRP Pub.60)勧告の取り入れにより、「線量限度」に改正された。組織線量当量も同様に「等価線量」に改正された。)

福一爆発時に設定された年間20mSv等の限度引き上げは典型的に住民の健康切り捨てである。

原発などでは法令に定められた線量限度以下の濃度で放射性物質を常時放出しているが、法定濃度限度以下でがんや白血病の多発を裏付ける証拠が各地で報告されている。その一つがドイツにおけるKiKK研究である。ドイツ連邦環境・自然保護・原子力安全省と連邦放射線防護庁:『Epidemiologische Studie zu Kinderkrebs in der Umgebung von Kernkraftwerken 』、略称『KiKK-Studie』※1。

その結果を次の【表1】に掲げる。

【表1】『KiKK』研究における5km圏内のオッズ比
オッズ比 95%信頼区間下限値 症例数
全小児がん 1.61 1.26 77
全小児白血病 2.19 1.51 37

【表1】KiKK研究における5㎞圏のオッズ比。オッズ比が1より大の時、その事象が起こりやすい。原発に近い圏内で小児白血病小児がんが多発していることが示されている。

【表2】5km・10km圏内の小児白血病のオッズ比
原発から オッズ比 95%信頼区間下限値 症例数
全白血病 5km圏内 2.19 1.51 37
10km圏内 1.33 1.06 95
急性リンパ性
白血病
5km圏内 1.98 1.33 30
10km圏内 1.34 1.05 84
急性非リンパ性
白血病
5km圏内 3.88 1.47 7
10km圏内 1.30 0.66 10

【表2】5㎞、10㎞圏の小児白血病オッズ比。5㎞だけでなく10㎞圏内でも明らかに白血病が多発している。

注意すべきは、これら小児がんや白血病の被害は、ICRPの防護3原則行為の正当化防護の最適化線量限度の範囲内で生じている被害なのである。

法的な線量限度以内で発生している犠牲者なのである。これがICRPの受忍強要だ。東電福島原発事故に際して、日本政府は「…ベクレル以下は安全である」と宣伝し、本来毒物であり安全値はありえない放射性物質によって内部被曝させることを市民に強制している。

これらはICRP体制の放射線防護の原則が如何に人権そのものを破壊してきたか、すでに生じたことが雄弁に語っている。まとめると。

1.ICRPは民主主義の土台である「個の尊厳」を破壊する思想体系である。

2.それはICRP勧告の放射線防護の三つの基本原則として【1】行為の正当化【2】防護の最適化【3】線量限度として主張される。

3.その主張はALARA精神を特徴とする。(ALARA:As Low As Reasonably Achievable)

(4)人権の尊重なしに行う「核兵器廃絶や原発反対」とは何?

著者たちは、3名とも日本科学者会議原子力問題委員会の委員および委員長と記されている。そのうちの1人(清水氏)は「福島県民健康調査検討委員会」の「副座長」であり、他の1人(野口氏)は事故後に「福島大学客員教授」に就任するとともに「福島県本宮市放射能健康リスク管理アドバイザー」を務めているとされる。

その意味で、同著者集団(少なくとも2人)は、被曝問題において基本的には行政側の当事者である。また、児玉氏は「原発問題住民運動全国連絡センター」の代表委員とされており、野口氏は「原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会」の代表を務める。以下は『放射線被ばくの理科・社会』の野口邦和氏の記述より。

(私たちは)原子力発電に対して明確に批判的な立場に立っている」(5ページなど)が、「健康被害の有無・大小の問題は、原発の是非の問題とは切り離して客観的・科学的に論じなければならない」と言う。

私(同書著者)自身ははっきりと原発には反対の立場なわけですが、放射線の問題については、原発賛成の立場の人とも科学的な見解を共有することがあっても何ら問題ないと考えています」(177ページ)等と記述している。

私が驚愕したことは「原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会」の代表、「原発問題住民運動全国連絡センター」の代表委員の「自身ははっきりと原発には反対の立場」に立つ人々が被曝問題・原発問題にかかわる人権を尊重する考え方に触れたことが無いのではないか、否それらを全面否定しているのではないか、と疑わざるを得なかったことだ。

言うまでもなく私たちの社会が民主的に保たれる原則は、お互いの人権を尊重することである。自分の人権を守りたい限り、他者の人権を自分の人権と同様に大切にし、その共通基盤があってこそお互いの人権を、侵害しようとする者から守るために協力していけるのである。原水爆禁止も平和的生存権…人権が基盤にあって共通の運動となる。原水爆禁止を願う人は「核抑止論」…つまり平和を守るために核兵器は必要である…という核兵器必要悪論に強く反対している。

ICRPの被曝防護3原則は、「原子力発電に関する核抑止論」である。被曝被害の受忍を強制することにより原子力発電に伴う被曝の必要性を受け入れさせてきたのである。もちろん結果として人権そのものを真っ向から否定している。

この「原子力発電に関する核抑止論」を「もっともである」と説いている野口氏の人権感覚は民主運動と相いれられるのであろうか?

(私たちは)原子力発電に対して明確に批判的な立場に立っている」というのであるならば、物理的な発電そのものに対してだけでなく、原子力発電を推進してきたICRPの基本思想を人道的に分析してほしいものである。とっぷりとICRPの「原子力発電に関する核抑止論」につかりこんでいて「原発には反対」するもないのである。

以下に人権…特に人格権と一商業行為の、民主社会が受け入れるべき優劣を説いた「大飯原発差し止め判決」を引用する。

(5)大飯原発差し止め判決

大飯原発3,4号機運転差止請求事件 2014年5月21日(福井地裁判決)
個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。
 原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。

この判決は原発と人権…特に人格権について明瞭な判断を下している。

それだけではない。ICRPの防護3原則に潜む人権無視の精神を見事に喝破しているのである。反原発を標榜する著者らはこれをどのように受け止めたのであろうか?

次に中川保雄氏の言葉を引用する。

(6)放射線防護の基準とは?

中川保雄「放射線被曝の歴史」
「今日の放射線防護の基準とは、原子力開発のためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクをやむを得ないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである。」

核兵器推進勢力の論理的基盤は「核抑止論」である。原発推進勢力にとっての「核抑止論」は「ICRPの被曝防護3原則でありALARA原則」である。この点を理解せずに何の「核兵器禁止」であり「原発反対」なのであろうか?

(7)ICRPの歴史を見る
ICRPは放射線の犠牲者隠しに貢献してきた。典型的な例は、IAEAがチェルノブイリ事故後の健康被害を甲状腺がんだけに限って認めた。現実は『チェルノブイリ被害の全貌』(ヤブロコフら、岩波書店、2013)に記載されているようにあらゆる疾病の増加が記録されている。チェルノブイリはまさに「知られざる核戦争」の実戦場であった。

知られざる核戦争」は爆弾を投下するという物理的破壊である核戦争に対して、裏側の「放射線の犠牲者隠し」という内容を持つ「核戦争」であり、私…矢ヶ崎克馬が命名したものである。

ICRPの果たしている役割は下の図1に示すようなものである。核戦略及び原発を進めると必ず放射線が環境に放たれ、命と環境が被害を受ける。もし科学が被害を逐一解明していたら核兵器開発や原子力発電は推進不能となる。そこでICRPが猛威を振るうところとなった。

ICRPの果たした役割は思想的な面と科学的な面との二つがある。思想的な面はまさに人権…特に人格権無視のALARA思想に代表されように被曝受忍の強制と命を金勘定で計りにかける功利主義であった。科学的な面は内部被曝隠しと具体性を骨抜きにした似非科学により、被曝を見えなくさせてきた。これが下の図1の意味である。
人格権否定と反科学
ICRPのはたしてきた役割。ICRPの政治的役割は人権そのものを破壊する「功利主義・放射線被害の受忍強要」と反科学である。

倫理的手段と非科学体系を築くことで自然と命に対するありのままの姿を明るみにさらすことを阻止し続けた。

さらに下の【表3】でICRPの「放射線防護」の哲学の変化の歴史を示す。人道的・科学的基準から経済的基準に原則が置き換えられる歴史であり、人道に反する考え方が支配する防護基準の達成される過程である。1954年にはまともにも「被曝を可能な最低レベルまで引き下げるあらゆる努力を払うべき」としていたものが、リスクベネフィット論とコストベネフィット論を経て被曝防護3原則となった。

人権をないがしろにするICRPの反人道的主張は、例えば1977年勧告において、放射線防護の三つの基本原則として【1】行為の正当化【2】防護の最適化【3】線量限度が導入された。その後の勧告においてもこの基本原則に基づいて放射線防護の具体的指針が示されている。

【表3】ICRPの放射線防護の哲学・経済学
西暦 ICRPの人権否定の歴史
1950年 ICRP発足
1951年 内部被曝委員会封鎖
1954年 ICRP勧告「被曝を可能な最低レベルまで引き下げるあらゆる努力を払うべき
1959年 リスクベネフィット論(人権を経済活動の下位に置く)ICRP勧告「実際的に可能な限り低く維持する
1966年 容易に達成可能な限り低く維持する(ALARA:As Low As Readily Achievable)
1970年 原子力委員会 コストベネフィット論(命の金勘定)
1973年 ICRP勧告 経済的及び社会的な考慮を行った上で合理的に達成可能な限り低く維持する(ALARA:As Low As Reasonably Achievable)
1977年 ICRP勧告 防護の3原則導入 【1】行為の正当化【2】防護の最適化【3】個人の線量限度

ICRP2007勧告「緒言」には以下のように紹介されている。国際放射線防護委員会の1954年勧告は「すべてのタイプの電離放射線に対する被ばくを可能な限り低いレベルに低減するため、あらゆる努力をすべきである」と助言した。(ICRP,1955)

このことは、引き続いて被ばくを「実際的に可能な限り低く維持する」(ICRP,1959)、「容易に達成可能な限り低く維持する」(ICRP,1966)、またその後「経済的及び社会的な考慮を行った上で合理的に達成可能な限り低く維持する」(ICRP,1973)という勧告として定式化された。

第2章 管理区域云々について

野口氏は「漫画『美味しんぼ』「福島の真実」編で「福島の人たちに、危ないところから逃げる勇気を持ってほしい」と主人公の父親である海原雄山に語らせる場面も、原作者が「福島県」=「管理区域」=「危ない」と考えているからでしょう」として管理区域問題を論説している。

野口氏の論述をかいつまんで紹介すると「・・・3か月あたり1.3mSv を超える恐れがあると危ないから管理区域とするわけではなく、管理区域には必ず放射線源があり、野放しでは放射線職業人が高い被曝線量をする可能性があるからこそ線量限度や環境基準が設けられていると言えます。したがって、管理区域は「計画被曝状況」の下での環境管理基準を定めた区域のひとつであり、それを「現状被曝状況」に当てはめるのはそもそも間違っています。・・・」野口氏は「計画被曝状況」、「緊急被曝状況」及び「現存被爆状況」を説明してから上記の論を展開している。野口氏の論理の根底はICRPの功利主義そのものである。ICRPのこれらの規定には何の疑問も持っていないようである。ここが大問題である。

この点を少し具体的に考察しよう。

公衆を年間1mSv 以下の被曝に留めるような規制は、国会の定める「法律」⇒内閣そして総理大臣の定める「施行令・施行規則」⇒文部科学大臣による「大臣告知」という絡みで実施されている項目であり、法律に絡む規制であることは間違いない。「原子力基本法」には次の条文がある。

原子力基本法
第二条  原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。

2  前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。

放射線管理区域とは「不必要な立ち入りを防止する規制」にかかる区域である。正常な状態では一般公衆は立ち入ってはならないし、区域内で飲食するようなことも禁じられる。

放射線管理区域設置の目的は「放射線障害を防止し、公共の安全を確保することにある」(放射性同位元素等による放射線防止に関する法律、他の法律も同様)とされている。「放射線障害を防止し」は要するに「危ないから規制する」というところにある。

これを野口氏は「3か月あたり1.3mSvを超える恐れがあると危ないから管理区域とするわけではなく、管理区域には必ず放射線源があり・・管理区域は「計画被曝状況」の下での環境管理基準を定めた区域のひとつであり、それを「現状被曝状況」に当てはめるのはそもそも間違っています。」という。そうであろうか?

野口氏の論理は「放射線源が無ければ被曝量は制限されない、あるいは、放射線源の無いところとあるところの線量を比較してはならない」、「現状被爆状況だから、放射線管理区域に相当する(放射線量)の場所も規制されることはない」、「素人が管理区域設定の具体的条件を抜きにして線量を比較するのは不当である」という論理のようである。線量の大きさを比較しようとした論理がはぐらかされている。人権の尊重を立ち位置とした視点ではない。ICRP流の「受忍強制」論の立場であると思う。我々一般公衆は人権の…特に人格権の尊重を希求している。

3か月あたり1.3mSvという規定の他に管理区域設定基準はいくつか並置される。表面の放射能汚染が(アルファ放射体でないならば) 40kBq/ ㎡ という規定も並行して設置されている。これは表面汚染を基準にして「管理区域」が設定されているのである。

文部科学省でも、航空機モニタリングにより空間線量を測り土地汚染を計算している(例えば、第4次航空機モニタリング)。それによるとそもそもの「管理区域」として指定しなければならない線量である地域は膨大なもので、数百万人が居住する地域となる。まさに日本の汚染状態は、政府が正常に人権を守るならば、チェルノブイリ周辺国のように(後出)「年間1mSv 以上」の環境には保護政策が実施されるべきである。今からでもやるべきである。

野口氏の論にしても確立された国際的な基準を踏まえということについてはICRP勧告を是とすれば確かにその手順を踏んでいる。しかし国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することに関しては果たしてどうであろうか?ICRPの原則の適用は健康に生きる権利の切り捨てそのものではないか。ICRPの果たす役割がここで明瞭に示されたわけである。人権…特に人格権の侵害を容認してはばからない人権感覚を疑う。

通常「公衆を年間1mSv 以下の被曝に留める」ことは上記法律に明記されている国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資するところから発していることは矛盾が無い。しかし、いったん事故があって「緊急被曝状況」になったら「20mSv までよろしい」ということには野口氏は矛盾を感じないだろうか?

20mSvにつり上げたのはALARA原則に従って被曝線量を「経済的及び社会的な考慮を行った上で合理的に達成可能な限り」という範囲で設定したものである。経済的社会的要因として「東電の賠償負担と政府の保護義務」等を最小限に抑える基準に変更したのである。住民の人権は考慮されていない。切り捨てされる対象となっているというべきである。

国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全」という観点からすると、年間1mSv が通常時の限度であるならば、それを守るべきである。事故が起こったからと言って公衆の放射線に対する抵抗力が20倍になるわけではない。「計画被曝状況」、「緊急被曝状況」及び「現存被爆状況」等の規定そのものが、中川保雄氏が指摘するように、原発推進の目的で組み立てられた論理である。原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段がICRP勧告そのものである。公衆の人権など2の次である。野口氏はこのようなICRPの防護原則を使って論議する。反原発の精神と矛盾しないのであろうか?

そもそも福一原発の放射性物質が爆発等により「勝手に」住民環境に押し寄せていて、日本の法令で「公衆に約束していた被曝をさせない」環境が保たれていない。管理区域にはまさに目的意識的に設置された線源があるのであろうが、住民地区には全く何の予告もなく住民の意思に反して無数の目に見えない「線源」がばら撒かれたのである。放射線被ばくを議論するうえで「線源」云々は全く必要ない詭弁である。

一般に原発等作業者の被ばく限度は公衆の数倍甘く設定されている。その作業者の制限値が「3か月1.3mSv 」である。公衆の基準にしたらあくまで年間1mSv であり、それに比べると非常に高い危険区域なのである。作業者は自らの意思で決定できる労働を行うものであるが、地域住民は否応なく、自分の意思に関わりなく「被曝させられる」存在である。作業者は3か月より短い期間で1.3mSvに達してしまえば、もうそれ以上継続して働けない。すなわち被曝は避けられる。地域住民は決してそう振る舞えない。被曝を強制させられているのである。

『美味しんぼ』では、その線量の状態を比較しているのである。野口氏の「現状被曝状況」に当てはめるのはそもそも間違っていますという論理は官僚よろしくまさに詭弁に聞こえる。「放射線源は存在していません」と、線源を機械的設置物だけに限定しているが、住民はまさに勝手にもたらされた「目に見えない線源」からの放射線にさらされているのである。人権無視のICRPをもろに擁護する視点を人道的視点で見直すことを願うばかりである。
 

第3章 日本の汚染について

さらに、「3か月あたり1.3mSv を超える恐れのある区域はそれこそホットスポット地域であり、・・・現在福島県中通り地方で年5.2mSvを超えるところはごく一部の極めて狭い範囲に限られ・・・『美味しんぼ』「福島の真実」編は現状認識において不正確極まりなく、あまりに大げさであり、政治的にすぎます。」と述べている。はたしてそうであろうか?

前述のように文科省確認の管理区域並の40kBq/㎡以上の土地汚染下に数百万人の人が生活し続けてきたのである。福島の放射能汚染状況は野口氏の言うように「大したことではない」のではなく、チェルノブイリをしのぐ汚染が実際のようだ。

政府は福島で放出した放射線量はチェルノブイリの6分の1程度だとする。しかし、山田耕作氏らの論考※2関連する青山道夫氏「東京電力福島第一原子力発電所事故に由来する汚染水問題を考える」『科学』岩波書店2014年8月号所収)では福島の放射能放出量はチェルノブイリ事故の最低4.4倍としている。この事実を「放射線被ばくの理科・社会」の著者らは検討してほしい。今後の日本における健康被害を暗示する。

さらに重要なことは公式データとして用いられているモニタリングポストの値は、矢ヶ崎克馬らの福島県現地での調査結果…真値のおよそ半分なのである。このグラフを見てほしい。※3
モニタリングポストの示す放射線量

日本政府の行っている住民切り捨てをまさに絵で見せている実測図である。

野口氏が言う「現状認識において不正確極まりなく、あまりに大げさであり、政治的にすぎます。」という判断には、逆に「あまりにも人道的見識から外れ政治的すぎる」とさえ申し上げたい。民主社会を構築する思想的基盤である一人一人の人権を大切にして「人道的立場を思い出して、ぜひ真実を見ていただきたい」と祈るばかりである。

第4章 事故先験国のチェルノブイリ法

【表4】はチェルノブイリ法(住民保護法)(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、ほぼ共通)汚染ゾーンである。表はセシウムの汚染状況からのゾーンを示している。

ゾーンは放射性物質の土地汚染を主体として決めている。土地の汚染が3倍になると内部被曝も含めた被曝量が5倍になる勘定をしている。年間1mSv 以上で移住権利ゾーン、年間5mSv (土地汚染からの外部被曝3mSv、内部被曝2mSv)以上では、強制移住ゾーンとなっている。

【表4】放射能汚染ゾーンの区分(Ukraine、Belarus、Russia)
チェルノブイリ法(住民保護法)(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、ほぼ共通)
セシウム137土壌汚染 年間被曝量
ゾーン区分 kBq/m2 Ci/km2 mSv/年
移住義務 555~ 15~ 5~
移住権利 185~555 5~15 1~5
管理強化 37~185 1~5 0.5~1

移住権利は年間1ミリシーベルトから移住義務はその3倍の土壌汚染から。

特徴は各国政府がまさに人権を擁護する立場に立って「年間0.5mSv以上は危険ですよ」、「年間1mSv以上は移住の権利がありますよ」と明言して移住権利ゾーンでの意思決定は、住民が自らの意思で決定していることである。避難対象となる人口などの社会的条件は異なっても、どちらの住民も放射線に対する抵抗力は同じである。一般公衆に対する被ばく限度値、すなわち市民が保護される基準も同じ「年間1mSv」である。法的に定められた基準通りチェルノブイリ周辺国は「年間1mSv以上は移住の権利」を与えている。

第5章 「逃げる勇気を持ってほしい」と人格権

野口氏は「現状被爆状況」だから「危ないところから逃げる勇気を持ってほしい」と福島県民に呼びかける『美味しんぼ』「福島の真実」編は現状認識において不正確極まりなく、あまりに大げさであり、政治的にすぎます」という。この論理は、まさに「安全」だという科学的にも経験的にも破たんした科学無視のICRPの原則を前提として、住民に被曝を強要するものである。

逃げる勇気を持ってほしい」という言葉は、「日本政府はチェルノブイリ周辺国と異なり住民の人権…特に人格権に基づく被曝しないで生きる権利の判断・行動を封殺している」、「日本政府が被曝しないで生きる権利を守らないのならば、住民は自発的意思で被曝しないで生きる権利を行使するしか道はない」と判断して「危ないところから逃げる勇気を持ってほしい」と悲痛な訴えをしているように私には思える。

政府や専門家が科学的な意味でも法的な意味でも真実を語ることは、そこに住む住民達の人権を守る上で重要である。ましてや行政が言論封殺に動くことなどもってのほかである。事実を具体的に明らかにすることは科学の仕事であるが、科学者・専門家がその逆を行くことは人権そのものの破壊を科学の面で支えるものである。

野口氏は美味しんぼの鼻血問題で、実際に生じている事実をICRPなどの論理で「このような低線量では絶対ありえない」という趣旨で否定している。「『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見」※4での野口氏のコメントは外部被曝の立場に立った全身被曝の考え方から「福島県内でそのような高線量の被曝をする状況にはありません」と、科学で一番大事な事実を確認するという行為の前にICRP体系に従った教条的判断で事実を否定するものだった。内部被曝・付着被曝等被曝形態での被曝状況を検討することもなく、科学を行っていない言説である。

津田敏秀氏らによる『低レベル放射線曝露と自覚症状・疾病罹患の関連に関する疫学調査』は事故後1年半の時点で調査した報告書である(2013年9月6日~実施)※5。調査は対象を双葉町(福島県)・丸森町(宮城県)とし、被曝していない長浜市木之本町(滋賀県)を参照群…基準とした。全8284名が参加した調査である。

多様な調査であるが、鼻血が出た割合のオッズ比は被曝集団のほうが3.5倍(丸森町)、3.8倍(双葉町)高くなっている(長浜市木之本町を1とする)。ちゃんとした統計を取れば、鼻血が被曝を原因としていることが明瞭となる調査結果だ。ICRPの教条的結論をうのみにした「科学の逆を行く判断」は人権無視に繋がる。

科学とは無縁の具体性から離れた思想は、ICRPの被曝強要という人権無視の思想構造に起因し、限りなく原発再開推進派の論理ににじり寄るものである。日本政府は、20mSv以下は安全だと言う。図らずも野口氏が実践しているように不安を抱くものの口を封じている。「早く帰れ」と帰還政策を進めている。

私の願いは、「原発反対や核兵器反対」の看板を掲げる人士は、それを内的に裏付ける人権の擁護と一致させてほしいという思いである。もし「被曝を住民に強要して受忍させる」という思想を現地住民に押し付けようとしているならば、何ら原発推進派と変わりはない。

チェルノブイリ周辺国に反し、残念ながら日本政府は被曝しないで生きる権利の擁護という視点は全く持ち合わせていない。チェルノブイリで、IAEAが唯一の放射線起因の疾病として認めた甲状腺がんも日本では認めようとしていない。

放射線に関連して一切ものを言わせまいとする統制がまかり通っている。それに加えて、本来なら人権を守るべき立場にある人物たちが、積極的にICRPによる人権無視に加担している。これが被爆国日本の悲しむべき現状である。

ICRP体系には科学の原理に反する規定が満載される(長崎被爆体験者訴訟矢ヶ崎意見書参照)。ICRPを金科玉条にするのではなく少しは批判的に見てほしいものである。

※1http://www.bfs.de/de/bfs/druck/Ufoplan/4334_KIKK.html
※2http://acsir.org/data/20140714_acsir_yamada_watanabe_002.pdf
※3http://blog.acsir.org/?eid=23
※4スピリッツ25、2014・6・2 391~
※5http://www.saflan.jp/wp-content/uploads/47617c7eef782d8bf8b74f48f6c53acb.pdf
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