矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授

琉球大学名誉教授 矢ヶ崎克馬
1995年にノーベル賞(平和賞)を獲得したパグウォッシュ会議が、被曝後70年ということで今年2015年は長崎で開かれます。そこに招待されるところとなり英語で論文を提出しました。以下が日本語版です。

第61回パグウォッシュ会議世界大会(長崎県)

ICRP(国際放射線防護委員会)の防護基準は、原子力発電という営業行為と人が犠牲になることを比較して発電という公益が犠牲を上回るなら営業行為が許される(正当化)というものです。

健康に生きるなどの人格権の上にビジネスを許す考え方が国際的に公認されるところとなっています。このような功利主義を許すことができますか?

■産業が「人の命を奪う」ことを公認する「国」を許すことができますか?

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-科学の目でICRP体系を批判する-
<目 次>

はじめに

第1章「人の命を奪う」ことがオーソライズされた特殊産業:原発

第2章吸収線量と照射線量の混同

第3章放射線荷重係数-入力と出力の混淆-

第4章組織荷重係数と実効線量

第5章放射線被ばくの基本

終わりに


はじめに

ICRPの歴史を紐解き、その哲学を批判した中川保雄氏著書『放射線被ばくの歴史』の「序にかえて」には次のように書かれています。
「人類が築き上げてきた文明の度合いとその豊かさの程度は最も弱い立場にある人たちをどのように遇してきたかによって判断されると私は思う。ここで扱う問題に即して言えば、放射線を浴びせられたヒバクシャの被害や、将来の時代を担う赤ん坊や子どもたちへの放射線の影響をどのように考えてきたかで測られると思う。その子どもたちの安全を守るという場合、放射線の人体への影響という科学的判断とともに、安全をどのように考えるかという社会的判断が絡むことになる。その判断は、情報と社会的な権力を握る人たちが、自分たちに都合のよいように行ってきた。その結果、原子力産業と原発を推進する人々は子どもたちを放射線の被害から守るという問題においてすら、経済的な利益を至上とする原理や、人の生命すら貨幣的価値に換算する仕組みを作り上げたのである。本書の目指すところは、この原理や仕組みが、いかにして「科学」とされていったかのかを解き明かし、闇に消され、切り捨てられた被害を新しく見いだされた証拠とともに示すことにある。」

本論はICRPを科学体系と見た場合に、如何にICRPは科学の原理を逸脱しているかという側面に絞って記述するものです。

第1章「人の命を奪う」ことがオーソライズされた特殊産業:原発

核の平和利用というが、出発点はウラン濃縮を常時継続できるために行った核戦略です。いつでも核攻撃大量核爆弾使用が可能になるようにウラン濃縮を休止するわけにはいかなかったのです。原子力発電はアメリカの核戦略から生まれ、まさにその出自を反映してシステム的に「人の命を奪う」ことがオーソライズされている特殊産業です。

どのようにしてオーソライズされるのか? 世界的な被曝の「防護」基準を作っているのは国際放射線防護委員会ICRPです。ICRPは勧告を出して、勧告を各国の政府が法律など国の基準に取り込んでいます。

ICRPは防護の3原則を掲げています(The 2007 recommendations of the international commission on radiological protection)。3原則とは(1)正当化(2)最適化(3)線量限度の適用、というものです。

正当化とは「その活動の導入が活動の結果生じる害(放射線による損害を含む)よりも大きい便益をもたらすかどうか」、端的に言えば、「公益が放射線による犠牲より大きければ」発電活動などが正当化される、というものです。発電という営業行為と放射線犠牲者を天秤にかける功利主義をむき出しにして、個々人の人格権をきわめて露骨に踏みにじる哲学を持っているのです。この民主主義の基本理念の破壊が国際政治の舞台で堂々と容認されているのは実に脅威です。戦争を国家が行うことは国家の名によって民主的諸権利・人格権をはく奪するところにありますが、原子力発電はこれと構造を同じくするものなのです。

ICRPの第2の原則は「被ばく及び潜在被ばくの確率と大きさを、経済的・社会的要因を考慮の上、合理的に達成可能な限り低くできるか」です。経済的社会的要因というのは「会社も国も過度の負担を強いられるのではない範囲でという意味であり、合理的というのは無理しないで」という現実の対応であり、ALARA(As Low As Reasonably Achievable) 精神と呼ばれるものです。

それまでの被曝状況が通常時の「政策被曝」だけであったものを、ICRP2007年勧告に於いて3つの被曝状況(政策被曝、緊急時被曝、現存被曝)に展開し、原発の「容認」を「事故時」にまで拡大しました。事故の際にも「経済的・社会的要因を考慮」してリーゾナブルに対応せよ、というものです。チェルノブイリ事故の時は政策被曝のみの被曝概念であり、周辺3か国は年間1ミリシーベルトで対応し、巨大な国庫負担がのしかかりました。この反省に立って国際原子力産業は、2007勧告に於いて、事故時は住民に20~100ミリシーベルトに及ぶ大量被ばくを押し付け、企業や国家の負担を軽減する基準を勧告しました。

緊急被曝状況では線量限度の枠は外され、事実上住民を被曝させっぱなしにしたうえで汚染軽減措置は出費と効果をALARA精神で天秤にかける。ICRP2007勧告はまさに「原発を受け入れる社会は事故をも受け入れよ」、と開き直ったものです。その直後に東電福島の事故が起りました。今、「国際原子力ムラ」と日本政府は勧告の適用を、しゃにむに住民犠牲の上で成し遂げようとしているのです。原発産業の存亡をかけてです。

第2章吸収線量と照射線量の混同

電離の程度は吸収線量で測られ、したがって健康被害は吸収線量に依存します。

電離には一定のエネルギーが必要です(空気中での平均値32.5eV)。電離に関わって身体に吸収されたエネルギーを吸収エネルギーと言います。単位質量あたりに基準化した吸収エネルギーを吸収線量と呼び、MKS単位系でジュール/キログラム(J/kg)をグレイ(Gy)と定義されます。ICRP1990勧告によれば「吸収線量はある一点で規定できる言い方で定義されているが、一つの組織・臓器内の平均線量を意味するものとして用いる」とされ、ICRPは臓器ごとの単位で計測すると宣言しています。

しかしICRPは一般的に吸収線量の代わりに照射線量を用います。粒子線であるアルファ線とベータ線の場合は飛程も短く大きな瑕疵となりにくい状況ですが、ガンマ線、エックス線の場合は大きな問題となります。

図1にガンマ線。エックス線の場合の吸収線量と照射線量の関係を図示します。

図1 ガンマ線・エックス線の照射線量と吸収線量、透過する線量

吸収線量と照射線量の関係は、照射線量から透過した線量を差し引いたものが吸収線量です。

量的な関係は対象相を距離 ℓ 通過した時の 強度を N(ℓ) とすると、N(ℓ)は次式で与えられる。
式N(ℓ)=N0e-0.693ℓ/L

ただし、N0は照射線量の強さ、Lは半価層(強度が半分になる長さ)です。

1例として山下俊一氏グループの学術報告を引用しましょう。(Suzuki et al. 低線量放射線被ばくによるDNA損傷の誘導と排除、長崎医学会雑誌 87 特集号(2012) pp239~242)

彼らの実験方法は、
1)滅菌カバーガラス上に正常ヒト二倍体細胞を播種
2)エックス線照射  200mGy/分
3)照射後に細胞あたりのDNA2重鎖切断を、53BP1フォーカス形成を指標に検出。照射量で 損傷などを記述

彼らの実験結果を概略すると【1】(照射線量が)100ミリグレイでは生じたDNAの損傷は24時間後には全て修復されたとし、【2】250ミリグレイのX線照射で損傷されたDNAはすべて24時間後には約半数が残存し、全部は修復されなかったとしています。しかしこれは照射線量で語られており、大きな誤りです。真に危害を与える吸収線量を照射線量と混同しています。

この実験の場合に基づいて、培養液の半価層を100㎜とし、培養液の厚さを1mmと仮定して、培養液に吸収されるX線の量を計算いたしますと、100ミリグレイの照射で、培養液に吸収された吸収線量はたったの0.7ミリグレイで99.3ミリグレイは透過してしまうのです。250ミリグレイの場合は、吸収線量は1.73ミリグレイです。

「たった1.73ミリグレイの吸収線量でDNA損傷が修復されない」というべきところを「100ミリグレイでは全てのDNA損傷が修復された」と言っているのです。このような誤りが日本で大々的に流された「100ミリシーベルト以下は安全」という安全神話の元になっています。

同様に、例えば身体の厚さが10㎝ある動物ですと100mGyの照射の半分の50mGyが吸収されます。しかしICRPは歴史的に実験結果などを照射線量で語り、吸収線量を用いないことを容認しています。

生じるリスクは、吸収線量に依存するのですから、同じ100mGyを照射しても対象のサイズに応じて吸収線量は大違いです。それを十把一絡げにして100mGyの照射線量を吸収線量扱いにするところに問題があります。

第3章放射線荷重係数-入力と出力の混淆-

放射線荷重係数及び組織荷重係数は物理的原理の根本を無視する概念です。生物学的等価線量、実効線量は物理的実態の無い約束事で生み出された架空の量です。

放射線荷重係数は放射線被ばくという生命体に外からもたらされる(生命体への)「入力」と生命体のそれに対する反応(出力)を混淆するものです。因果関係をもとに反応を科学すべきなのですが、その「科学の基本原則」に反するものです。例えば、アルファ線は放射線荷重係数が20であり、この20という数値は「生物学的等価線量」という名のとおり、生物の受ける被害が大きいことにより与えられたものです。このICRP的取り扱いは実際のアルファ線の持つエネルギーを20倍して計算を取り扱うことです。

これはまさに論理の科学を否定する取扱いなのです。放射線治療の現場では、異なった線種の放射線を扱わざるを得ないとき「生物学的等価線量」という概念が治療テクニカル上、便宜的であるかもしれません。しかし、放射線ごとに生命機能の反応を科学する要請からいえば、外力(生命体に対する外からくわえられる力であり、システム論的には入力ともいう)の強さを内的反応(システム論的には出力)の大きさに応じて加減するという操作はまさに因果関係に立脚すべき科学を破壊する行為です。科学手法の大原則に違反する行為です。

その上「この方式で行え」という政治支配を放射線科学に押し付けることになってしまっています。このような機械的操作の押し付けは本質的に着目しなければならない電離の空間的分布:密度、分布など、を考察対象から排除することに直結しています。例えば放射線微粒子の周囲の電離の考察を排除しています。具体的に科学すべき被曝を「放射線荷重係数を1にしなさい、20にしなさい」という「従うべき教条」に変えるのは、基本的な科学の方法を放棄させることにほかならないのです。

放射線荷重係数なるものは、上記のように原則に違反する量です。その上に機械的に定数を定めることは実態の無いものです。死亡率で比をとるか、がん発生率か、それとも組織そのものの被曝影響なのか?臓器による違いはないのか?線量の多寡により変化するのか不変なのか?小児や妊婦やさらに年齢による被害に関する感受性はどうか?等々の具体性を一切捨象することによって成り立っています。機械的な数値で被害を正しく評価することは決してできないのです。

従って、放射線荷重係数とセットになっている「生物学的等価線量」は廃止すべきです。

組織荷重係数なるものも放射線荷重係数とまったく同様に、科学するうえで具体性を捨象することによって生まれたアイデアです。臓器・組織の相対的がんリスク係数を放射線量にストレートに結合させて、実効線量という架空線量計算に変質させたのも同根の誤りです。

第4章組織荷重係数と実効線量

 組織荷重係数は、放射線による癌死割合をもとに、各臓器ごとに相対的がん死比を与え、全組織を足し合わせる(ΣwT)と1となるように係数を裁定しています。計算式は以下のとおりになっています。
HE=ΣwT・HT
式HEすなわち実効線量は、HTすなわち生物学的線量当量(Sv)という線量を組織ごとへ分割したものの和です、これは科学的・根本的に誤った概念です。

なぜか?説明するために、まず、リスク、リスク係数について確認する必要があります。

過剰リスク係数は、放射線の影響を受けない場合のがんリスク(がん死亡率)に比して放射線を浴びた場合のがん死亡率がどれほど過剰であるかを1Svあたりで示したものです。

過剰リスク(がん死亡率)は過剰リスク係数に実際の生物学的等価線量を掛けて得られる。

2007年勧告におけるがんの過剰リスク係数Rcは
5.5×10-2Sv-1 ですから組織荷重係数をこれに掛け合わせてRc=5.5×10-2ΣWT(Sv-1)=5.5×10-2(Sv-1)
となる。ただし、Rcは過剰がんリスク係数です。ここで確認すべきは組織荷重係数WTは過剰がんリスク係数を各臓器に分配したものです。すなわち組織荷重係数は飽くまで過剰リスク係数の一部であり、言い換えれば、ΣWTは飽くまで(Sv-1)の内容に含まれているのです。

過剰がんリスクRはこれにそれぞれの生物学的等価線量HTを掛け合わせて得られる。
R={5.5×10-2・ΣWT}(Sv-1)・HT(Sv)これを分割して示すとR(無次元数)={5.5×10-2ΣWT}(Sv-1)・HT(Sv)=5.5×10-2・ΣWT(Sv-1)・HT(Sv)=定数(無次元数)・HE (式1)(無次元数)
であり、先ほど定義したHEなる物理量はリスクRの一部を示すものであり、実効線量という名前を名乗るような「線量」ではない。もともとがんリスクという無次元の量の分割方法を変えたところで物理的内容が変わるはずがないのです。

ICRPの実効線量の定義自体が科学的には成り立たないものです。内容を、科学法則を、無視して名前だけを「線量」と名付けて命名しているのです。

線量(吸収線量)は足したら1になる性質を持たない物理量です、すなわち吸収線量は強さを示す示強変数です。しかし、吸収線量を構成する吸収エネルギーも質量も量を示す物理量(示量変数)で、それぞれ各臓器のものをすべて足し合わせると全身の量になる(足したら1になる)。しかしそれらを除した吸収線量は、各臓器ごとの線量を比較できる量に基準化されているがゆえに足したら1になる関係にはまったくないのです。生物学的等価線量や実効線量など、およそ「線量」と名付ける物理量には同様な性質があります。

実効線量のごとく、足したら全身量になる「線量」は物理的にはありうるものではなく、科学法則を超えて空想したものでしかありません。

第5章放射線被ばくの基本

放射線一般のことについてはじめに確認したいと思います。

物理的な放射線が体に当たって、人体に影響を与えるのですが、放射線というのは、人体にとってなぜ危険なのかについて述べます。

下の図2図3はそれぞれ共有結合とイオン結合における電子対(paired electron)を表した模式図です。図2は共有結合の場合を示します。
共有結合

下の図3はイオン結合の場合を示します。
イオン結合
イオン結合NaClの場合は隣接する6個の相手原子との間に6分の1個ずつの波動関数の重なりがあり、電子対が生成されます。いずれの場合も原子と原子の間に電子対が生じ、これにより原子同士が結合いたします。このほかの金属結合等においても原子と原子が結合するには電子対を形成することが必要とされます。

原子対の形成無くして原子同士の結合(分子)は生まれません。

ちなみに安定した組織内の原子の電子は全て電子対を形成しています(一部に例外があります)。電子対が一つの原子内で完結する場合と原子と原子の間で形成される場合があり、後に述べる分子切断は後者の電子対を破壊する場合です。

これは量子物理学の分野では常識的なことですが、被曝の分野ではこの基本的な事柄は確認されてきませんでした。

次に 放射線が人体に危害を与えるメカニズムに関する概念について説明します。

放射線は少し専門的な表現をすれば、電離放射線と言われます。図4に電離放射線の作用を示します。
放射線の作用:電離

放射線が身体に当たると言いますが、ミクロに見れば体の中一つの原子に当たるものです。

放射線の作用を電離と言います。放射線の特徴は電離です。電離とは、放射線が当たった原子のその原子の中の電子を吹き飛ばしてしまうことです。

これがどのように分子結合を切断するかを図5に示します。

電離は分子切断
電離の生命体に対する危険は組織すなわち分子を切ってしまうことです。

この図5には3個の原子が連結した分子の絵が描かれています。原子と原子を結び付ける決定的な力は電子が対を成すこと、電子がペアを作ることにありますが電離とはこのペアを破壊します。せっかく対になっている電子のひとつを飛ばしてしまうのですから、電子ペアが壊されます。そこで分子は切断されます。繋がっていてこそ生命機能が発揮できますが、切り離されることで生命機能がなりゆかなくなってしまいます。

これが放射線の危害の基本です。危害には2種類あります。

【1】一つは分子が切られることそのものが生命機能の不全を招く危険です。

【2】ふたつ目は、切られてしまった分子が再び結合しようとするときに間違いを起こすことによる危険です。これが遺伝子に生じるとき遺伝子の組み換えなどとも呼ばれているDNA損傷です。これが発がんなどの元になり、また遺伝子の不安定さを子孫に伝えます。

これが放射線の危害の物理的起源ですが、放射線の危害を防護する考え方・体系が国際放射線防護委員会・ICRPによってなされていますが、ICRPの体系にはこのような危害の物理的本質をかたることがされていません。

終わりに
本論では物事を科学的にとらえる基本である事実を正確に具体的に把握することを放棄することに加えて、因果関係を記述する科学の柱について、ICRPがどのように科学原理違反を行っているかを述べました。すなわち、何が外力であるか、何が反応であるか、の記述方法が全く科学的でなく恣意的になされ、科学が阻害されていることを述べました。このほかICRPの重要な欠陥として、被害を評価する基本である吸収線量の測り方、電離の密度の捉え方、等々がいずれも科学の基本である具体性を追求せず、初めから抽象化、平均化から始まる手法を取っていることを指摘します。いずれこれらも具体的に論ずる機会を作ろうと思います。

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※写真は日本パグウォッシュ会議のFacebookよりhttps://ja-jp.facebook.com/pugwashjapan